心の健康-49-
前回も名著『祈る心は治る心』からの学びでした。
http://p.tl/VtM5
今回は最終章『祈りはどうあるべきか』からの学びです。
●『心の健康と祈り』4
(祈りはどうあるべきか)
米国人が祈るテーマのベスト5をご存じでしょうか?
答は上位から「家族の幸福」「感謝」「許し」「心の強さ」「個人の平安」です。
日本人の調査は見たことありませんが、
同じ人間ですから、似たような結果になるのではないでしょうか。
祈りはどうあるべきかについて、本書の訳者あとがきの中に、
明解な回答がありますので、その部分を転載することにします。
本書『祈る心は治る心』の内容のエッセンスをずばりひとことでいうならば、
「何よりも、まごころをもって、感謝の気持ちとともに、ただ無心に祈れ。
そして、大いなるものにまかせよ。すると、一番自然の理にかなう形で、
大いなるものは治癒を実現してくれる」ということであろう。
この訳者あとがきは、まさに的を得た要約だといえます。
特に、この大いなるものに対する「感謝の気持ち」は大切です。
これを忘れたときに、周りとの不調和が起きることを、
身を持って体験しているのは、私だけではないでしょう。
たとえば、慢心しているときは感謝ができませんね。
不平不満がいっぱいの時も感謝の心を見失っています。
このように、感謝ができない状態だと、とても無心になんか祈れません。
大いなるものにまかせる心境も、感謝なくしてはあり得ませんので、
感謝ができる心境を得ることが、祈りの原点だともいえましょう。
(ネガティブな祈りとポジティブな祈り)
祈りについて、本書にはちょっと恐ろしい話が載っています。
ネガティブな祈りとポジティブな祈りについてです。
ポジティブな祈りというのは、
通常みなが日常的に行っている祈りのことです。
一方、ネガティブな祈りというのを、ご存じでしょうか?
これは、不幸の祈り、呪いなどのことをいいます。
恐ろしいですね。想像しただけで、なんだか気分が悪くなりそうです。
祈りには、効果があることが分かっていますが、
ネガティブな祈りにも、やはり効果があるようです。
「ネガティブな祈りには注意せよ」とありますが、
世界中で、行われてきた経緯があるということです。
また、対抗する祈り、護符、有害な効果を打ち消す儀式も行われました。
日本でも陰陽師の映画などを観るとそういうシーンが出てきますね。
また、ある宗教団体などは、批判する人物や団体に対して、
集団で祈りを行っているところもあるようですので、
現代も、そういうネガティブな祈りが行われてる事実があります。
ネガティブな祈りや思念の影響は、邪悪な人間からだけではなく、
偏狭な宗教を熱心に信仰している人からも送られることがあります。
本書には、「不寛容で心のせまい人は誰でも、
他者を害するもとになる可能性があるということだ」とあります。
つづいて、「むしろ、ネガティブな思念は、無意識の心に生じ、
当人は、自分が他者に対して有害な心の姿勢をもっていることに
全く気づいていない、と考えた法が当たっているだろう」と述べられています。
そして、もし、このような対象になったとき、
あるいは、被害にあったときの対処例が載っています。
それは、防衛的な姿勢をとったり、祈りや儀式に頼ったりするのではなく、
「愛」、慈しみの心でもって応えた成功例です。
つまり、ネガティブな思念の力を感じたら、
それに対して、ネガティブな思いで打ち返すのではなく、
相手を思いやる愛の思念こそが、それを打ち消すということです。
昔から「恨み心で恨みは解けない」といいますが、
これってやはり、真理の言葉なんですね。
改めて、なるほどなぁと感じた次第です。
「間違ってもネガティブな祈りは使わない」と強く思いました。
(祈りの実践による気づき)
この本を読んで、人間の思念の力の偉大さを再認識しました。
心の力を生かす方法としては、
祈りや瞑想、イメージトレーニングなど様々な実践法があります。
米国は、キリスト教国でもあり、祈りが日常的になっていますが、
日本の場合は、やや遅れていて、
祈りなどの思念の力が有効に働いていないように思います。
これは個人レベルの話でもそう思いますが、
国家レベルでも同じことが起こっているのではないでしょうか。
本来、日本人は調和の心をもっており、心の力を使える人が多いはずです。
それが、マスコミから入ってくるネガティブな情報に振り回され、
政府や影響力の高い人達までが右往左往しているように感じます。
こんな時こそ、大いなる存在を感じながら、
感謝の心とともにポジティブな思念をもつことが必要です。
個人レベルでも、国家レベルでも本来の姿を取り戻し、
明るく前向きで豊かな思念を発して、大宇宙と調和できれば、
未来が、そして現実が変わってくることは間違いありません。
祈りというと、なにか仰々しい感じがするようですが、
要は、どんなことを考えて生きているのかが大事です。
本書にも、祈りに決まったスタイルはないと書いてあります。
その通りだと思います。問題は中味です。
私心をなくし、大いなる存在にゆだねてみましょう。
あなたが信じる存在なら呼び名は関係ありません。
それができれば、病気や健康に限らず、自然の理にかなった形で、
大いなる存在は力を貸してくれることでしょう。
それは、治る力そのものだと確信しています。
祈りというテーマは、やや重い題材だったかも知れませんね。
次回は「病気の原因」の中から学びます。
--【今回のポイント】--------------
祈る心は治る力、大いなるものと一体になれば誰もが持てる力である。
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『祈る心は治る心』ラリー・ドッシー著 大塚晃志郎訳 日本教文社
http://kenkokagaku.typepad.jp/blog/2008/12/post-1b41.html
心の健康1~49
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